文明進化の代償
私が日記に何かを書くときって、必ず日記じゃないんですよねw <<
にっ‐き【日記】
1 毎日の出来事や感想などの記録。
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出来事を書き留めたり、それに対する感想がないので、多分チラ裏って表現がもっとも適切なのだと思いますw
そんな今日のタイトル「文明進化の代償」について。なのです。
自分の家の電話番号、知ってます?
友達の電話番号、覚えてる?住所とかわかる?
っていうとまず見るのはケータイw
ケータイを持ってなかった頃はどうやってたか、っていうと覚えているかメモとして書き留めてんですよねー
私はメモとかする習慣がなかったので、友達に電話をかけて「こいつの電話番号教えてくれ」って聞いてましたw
カーナビであれば、道を覚えなくなる。
田舎鉄道から都会鉄道になれば、時刻表を覚えなくなる。
ケータイがあれば友達の電話番号を覚えなくなる。
違うんだ、覚える必要がなくなるんだ。
覚える必要がなくなったおかげで、かなり便利になったはずだ。
いつしかそれが当たり前になったはずだ。
でも、日々の生活は快適になったはず。
快適=便利さ の図式が成り立ってしまう。
それでは快適とははたしてなんだろうか。
部屋が寒いから部屋を暖める。で考えよう。
部屋があったかくなれば快適だ。
それは薪を暖炉で燃やしても、エアコンのスイッチを入れても多分目的はどちらも果たせるはず。
だけど多分、前者よりも後者の方が快適だと捉えるのだと思う。
どっちも目的は一緒で、手段が違うだけなんだが。
今の快適には80%くらい「便利さ」ってのが含まれてるのだと思う。
やがては、ケータイがないと自分の家に帰れない。なんて人が出ないことを願ってます。
むしろ代償と引き換えに快適を手に入れるのかもしれません。
ケータイを手に入れた代わりに、友達の電話番号を覚えなくなったし、都会鉄道を利用することで、時間に対して疎くなったり、便利は代償と引き換えに手に入れる快適なのかもしれない。
もし、今の生活がもっと快適になる為の何かを手に入れるなら、その代償を考えてみるといいかもしれないです。